掃除、してますか?

建物管理者向け、悩ましい管理方法のヒントここにあります。

評論家不要論

掃除、してますか?

今日は現場のテクニック関連ではなく、人間関係についてお話します。

 

タイトルは評論家不要論としました。

心理学的に「評価」というレッテル貼りコミュニケーションが存在するのをご存知でしょうか?

私もつい先日、ある方の講義で教えてもらいました。

 

なんでも、「あのひとはやる気が無い」とか「上司が駄目だからうちの部署は成績が上がらない」という、何気なく私たちが口にしている(していませんねww)言葉には毒素の強いエネルギーが隠されているのだそうです。

 

あのひとはやる気が無いというと、その人はそういう人だということを決定的にしらしめてしまいますよね?なぜそうなのかは説明されていない。

 

客観的な事実だけを表現すると「あのひとは初日にもかかわらず遅刻してきた」かもしれない。

 

初日に遅刻した理由が人助けかもしれない。

 

でも、評価者としては遅刻してきたやつはやる気が無いとしたのでしょう。

 

どうでしょう?なんとなくわかったようなわからないような話ですよね?

 

評価というのは、受け手(評価者)の思いがかかっています。遅刻するやつなんかろくなやつじゃないと思い込んでいるからです。なのに、あの人はやる気が無いときめつけて表現しました。

 

自分の思いをきちんと表現しなければ、相手にとってはとても攻撃的で暴力的なコミュニケーションだということになります。

 

ではどうすればよかったのでしょう?

 

あのひとは初日に遅刻した。理由を聞いていないけど私は初日に遅刻するには相当の理由が無ければ本人のやる気が無いのではないかと判断する。

 

こうなるとどうでしょうか?

 

結論から言うと、どうやら言葉に責任を持つということは、一人称で話すことのようです。

 

「わたしは」といれれば、自分の思いであることと、客観的な現実とを分けて話すことができます。

 

遅刻したのは事実だとして、やる気がないかどうかは評価者の思いです。

 

職場の上司や同僚に、こんな人いませんか?(いませんよね?www)

 

本人がいないところで陰口をいう。これも同じでしょう。

 

「あのひと、じつは○○なんだって。しんじられない~」

「あのひといつもサボってるのよね」

 

サボりを追求するのであれば、本人にいうとか管理者に相談するとか、手はあります。

また、そもそも他人のサボりで自分の仕事が増えるような職場であれば、別に問題があります。それを改善すれば、他人のサボりはどうでもいいことになってきますから、影で囁きたくなることもなくなります。

 

のっけから脱線しましたが、評論家の話にしたいと思います。

 

会議がうまくいかないことありませんか?現場の仲間が集まってランチしていても、評論家は現れてコミュニケーションを破壊します。

 

会議の種類はたくさんありますよね?経営企画会議からKYのような活動までみんな会議形式で行われる討議です。

家族の食卓もある意味会議体のひとつといえるかもしれません。

会議には目的があって、それを達成するために召集されています(そのはずです)。

しかし会議を進行していくと「その件はあまり一般的とはいえないんじゃないかな」とか、「再発防止につなげないと意味がないじゃないかな」などの発言が出てきます。

 

進行者も一般的じゃないといわれても、だったらどうすればいいのかを突っ込みたいところですが、その発言が上位職や管理職だったりするとどうでしょう。居酒屋の無礼講と同様に、会議で自由闊達な発言を促されても、誰も突っ込めませんよね?

 

一般的じゃないと思う。

 

この場合、上位職の人は一般的じゃない案に対案を示し、経験や知識に基づくその理由や正当性、自社の理念に沿った方針であることなどを示してコンセンサス(理解・協調)を得るのが正しい方法だと思うのです。

 

しかし、上位職はその方法を取れない。なぜか。

 

たいていの場合、軸がぶれていることが多いようです。

 

前記しましたが、そもそも会議の目的があるはずです。しかも団体や会社であればその存在意義や目的、企業理念といった決まりごとがあるはずです。

 

「僕の会社は良い小麦粉を製造することで国民に安定的な食料を提供し、健康を育む事もことを目的として設立されました」

こうかくと、はっきりした目的が見えていますよね。

そして会議のお題が「北海道産の小麦をもっと使いたいがどうか」だとすると、確かに北海道産はブランドであり、現在の流通とはまったく違った展開になっている。

だからといって、「一般的じゃない」の一言で片付けられてしまっては会議にならないし、会社の目的や企業倫理に反することにもつながってくる。

・北海道産の小麦がなぜわが社に必要なのか

・どの程度の量で目的が実現できるのか

・その方法は過去の事例からどれだけのリスクがあって、回避するために必要な投資が見込まれる

など、より具体的な否定要素をふまえ、それを出席者の知識や職務に当てはめて解決していくために会議が開かれているはずです。

 

評論家というのは、自分勝手にあれは駄目だこれはまずいと自分のいいたいことを押し付けて目的をぶれさせて、コミュニケーションを破壊します。

 

「あの人はやる気がない」「その方法は一般的じゃない」

「すごく仕事が多いから不公平だ」

「あのひとはいいひとだから仕事を頼んでもやってくれる」

「あの人の家は片親だから非常識なんだ」

「外国人だからだめなやつだ」

「高学歴じゃないひとはろくな人がいない」

 

どうでしょう?レッテルを貼る作業が好きな方、いらっしゃいますよね。

 

あのひとは遅刻した。私はやる気が足りないと判断した。

その方法だと問題が山積だ。自称を整理してみんなでもう一度分析する必要がある。

私の受け持つ仕事は時間がかかると思うので、あと一週間かけたい。

あのひとに仕事を頼んだらいそがしいのに引き受けてくれた。わたしはあの人に助けられたからいい人だと感じた。

あの人が言っていることが私は間違っていると思う。

あのひとは外国人だ。お冷を出すときにテーブルにガツンと置くのは日本の文化に合わないと教育を受けていと私はおもう。

 

客観的事実と一人称表現はコミュニケーションを蘇らせます。

いちどお試しください。